長文置き場

備忘録

コンテンツに追われている

いつから流行った表現なのかは記憶にありませんが、ここ最近新しいコンテンツに触れることを「履修する」といった言い方をすることがよくあるし、よく見ます。

コロナ禍の中で現場に行くことができず、現場に費やしていた時間やお金がそのままアニメやゲームの履修にスライドされる日々で、履修って確かに言い得て妙な表現だなと感じました。

 

今わたしが追いかけたりプレイしている作品が、アニメ、コンシューマー、ソシャゲ全部含めて大体10作品ほどあります。今は本当に便利な時代だから、膨大な数のアニメがサブスクで配信されているし、ソシャゲは指でポチポチするだけでDLできるし、お金に余裕があるからコンシューマーにも手を出せます。

元々1つのことしか熱中できない性格だったのが、コロナ禍で時間と金を持て余しているとはいえ同時並行で多くの作品を履修しています。

もちろんそのどれもが楽しくて、楽しいからこそ続けていられるんですが、何だかあまりにも追いかけているコンテンツが多すぎるのか、楽しいからコンテンツを追いかけているというより、コンテンツの方に追われている感覚が日に日に増しています。

 

もう本当にアニメが見終わらないし、ゲームも最後まで全然たどり着きません。そりゃそれだけ同時並行で追いかけていれば当たり前だし、もうかつてのぶっ続けで何時間も見続けられたり、プレイし続けられる体力気力集中力がないので、進み方も少しずつですし。仕事で疲れて帰ってくると、見なきゃプレイしなきゃと思ってもその気力がなくてずっとツイッターしてその日が終わってしまうこともよくあります。

もちろん誰かにいつまでに見ないといけない、クリアしないといけないと命令されたわけではないので、そのへんは気の向くままにやればいいんですけど、同時並行しているコンテンツを完走して減らしたいと思ったり、コンテンツを履修しないでボーっとしたりSNSに費やしていたりする時間って無駄だなあとか思うと、あんまり気持ちがスッキリしない。

 

そんなことを考えていると、何か本当にこの状態って「履修」しているみたいだなあって思いました。履修する講義を詰めすぎて忙しくなっちゃうとか、進めなきゃって思ってるこの気持ちとか。

前回記事にしたんですが、推しとは言えずとも気になっている声優さんが複数人いて、この人の演技もうちょっと見てみたいなあという理由で作品に触れるじゃないですか。そうすると本当に「履修」なんですよね。 何かを知りたいから触れてみるって勉強の概念に通ずるところあるじゃないですか(?) でもそれも抱え込みすぎると当然アップアップしちゃって。もちろんつまらない作品は即座に切るので、抱え込むということはそこに楽しさや面白さを感じていることは絶対的な事実なんです。

 

気になる作品は次から次へとやってきて(軽率に興味レーダーが反応してしまう)、しかも自分はそれをいつでもどこでも指先1つで履修開始できる状態にあって。ソシャゲはスマホさえあればDLできるし、アニメにしたって全ての作品がそうではないけれど、サブスクの登場で見逃したから・録画し忘れたから・最寄りのツタヤにないからはもう履修しない理由として機能しない。ちょっとでも見たいという気持ちがあればすぐに全話いつでも見られる。見るには腰が重いけど、見ないままでいるのもなんかモヤモヤするー!!ってなってしまう面倒くさい心理。

 

もちろん今の便利さにもコンテンツにも何も罪はなく、わたしのそのへんのバランスの取り方や付き合い方が下手くそなだけだし、この話に結論はありません。

どれも楽しいんですが、8割9割のところで楽しんでいて、限界ブチ抜く熱量が生まれていないせいか、一生懸命作品を咀嚼したりすることが少なくなってて、「こなしてる」みたいな感じになって良くない傾向だとは思っているんですけどね!作品多数抱えると、1つの作品に対して考えを深めることがなくなっちゃって良くない良くない……。

 

たまにはこういう日記っぽい記事もいいかと思って書いてみました。