長文置き場

備忘録

結局not for meだったなという話

今年の春頃、自分は絶対にハマらないだろうなあと思っていたジャンルにうっかり足を踏み入れてしまった。短いスパンで2回も。これはその後日談だが、結論から言うと、結局どちらも自分には合わない界隈だと思い、腰を据えることなく離れてしまった。今ではK-POPはフォロワーのツイートから受動喫煙するだけになったし、Vtuberも好きな曲の歌ってみたを聞く程度になった。リアルタイムの配信はおろか、切り抜きもほぼ見なくなった。切り抜きを見る時間がほぼほぼあたしンちを見る時間に変わったので、youtubeのサジェストはあたしンちまみれになった。全てが元通りになった。

もちろんどちらも魅力ある楽しい界隈なのは重々承知だが、以下からはひたすらnot for meだった理由を書いているので好きな人は気分を害してしまうかもしれない。

 

K-POPはフォロワーにK-POPのオタクが何人かいるので、どれほど熾烈で苛烈な界隈かということは受動喫煙レベルでも伝わってきたのだが、やっぱり自分にはそこに身を投じる覚悟はないなと思った。とにかく「熾烈」「苛烈」という言葉がよく似合う。界隈そのものというかビジネス構造が血の気が多くて、常に競わせないと気が済まない印象。ある種オタクの推しに貢献したい、推しを高みへ押し上げたいという情熱や献身を利用して収益を上げているところがあるから、この界隈に身を投じるということは激しい貢献競争の流れに乗っていかないといけないわけで。もちろん、そういう空気感を全く気にせずマイペースに推しを推しているオタクもいるんだろうけど、他の界隈よりもマイペースさを貫くのが難しい印象はある。それで熾烈な貢献競争に乗って売上枚数や再生回数に貢献できるオタクが良いオタクという空気感があるのも割と自分が身を置くにはしんどいなと思った。

でもオタクの推しへの献身を前提にコンテンツを組み立てているのは、別に韓国だけではなくて日本でも当たり前のようにこの構造がある。アイドルに限って言ったら、韓国よりも熾烈さはないけれど。Twitterにも書いたのだけど、お金や時間を捧げてくれるオタクからは限界までお金と時間を搾り取って収益を上げるビジネススタイルに味をしめた数多の運営と、「推し活」文化の普及が合わさって、なんか昨今のエンタメ界隈とんでもないことになっているなあと思わなくもない。いつからこんなに数字数字言うようになったんだろう。

だけど資本主義社会で、どこの運営もボランティアで活動しているわけではないから、収益が上がらないと今後の活動に支障をきたすし、お金のかかった良いものを作るためにはお金がいる、お金は勝手に湧いてくるわけではないから、そのためにこんな構造になっていると言われたらもうどうしようもないんだよね。だけど、自分の「好き」の気持ちが露骨に資本主義のシステムに取り込まれたくないし、資本主義に追い立てられたくもないところはある。本当に難しい話だけどね。

とにかくわたしは体育会系気質が0だし、他のオタクと一致団結して何かやるとかも苦手だし、賞レースのために投票頑張るとか疲れるだけだし、数字が上がっていくことに面白みを見出せない。そこに別に自分の手が関わっていなくていいと思う。育成したいみたいな欲がないんだろうな。こういうある種の数字ゲームを楽しめるのは完全に才能だと思う。わたしにはその才能がなかった。ソシャゲのランキングイベントも苦手だったし……。他のオタクと戦いたくないし、順位を上げるためにひたすら同じ作業をしたくない。まあこんな苦手意識を吹っ飛ばすほどの推しに出会ってないからと言われたら何も反論できないのだが……。とりあえず今のところはK-POPは外野から曲やMVだけ良い!って思ってるのが1番楽。K-POPは本当に戦闘民族で血の気の多いオタクほど生き残れると思う。

 

 

続いてVtuber。フォロワーに会うたび「最近Vtuberの話しなくなったね」って言われる。本当に見なくなった。元々この界隈に長居するつもりはなかったので、予定通りといえば予定通りなところはある。この界隈に足を踏み入れてから色々と安心できなさは目についていて、その安心できなさが解消されるまで待てるほど気が長くなかったし、それを忘れさせるほど入れ込める存在も見つからなかったみたいな感じ。とはいえK-POPでもそうだけど、界隈に不健全さを感じながらそれに目を背けてオタクをするのはやめようって思っていたところはあったから結局長居する場所じゃなかったんだと思う。まあ大体そのへんについてはこの記事に書いたんだけど。

mito-913.hatenablog.com

元も子もない話をすると、わたしは中学生時代に一瞬歌い手にハマっていたことはあったけど、それ以降配信者にハマったことがなくて。YouTuberとかゲーム実況が流行ってからも全くそういうのに興味がなかった。だから根本的に配信者とかインターネットで活動する人のオタクをすることに向いていないんだと思う。多分わたしは権威主義的なところがあって、配信者の良くも悪くも一般人でありプロであるという曖昧さが不安になってしまう。権威は権威でもテレビの権威を信じてるところがあるんだよね。別にテレビ好きじゃないし全く見ないけど。ただテレビって誰でも出られるわけじゃないから、そこに出られる人って自分は特別なんだって気持ちが生まれると思うし、それがプロ意識に繋がるんじゃないかと思う。だけど配信ってやるだけなら誰でもできるし、素人とプロを隔てているものってぶっちゃけ同接や再生数とかの数字しかない。だからいくら大手の企業に所属して配信でお金をもらったとしても、プロ意識・社会人意識が生まれない人が他界隈よりも高い確率で出てきてしまう気がする。そういう意味で、今までハマってきたアイドルとか声優とか芸能事務所に所属していて顔を出して芸能活動をしている人たちと比べると、本人のプロ意識だったり、あとは事務所が適切にマネジメントし活動をフォローしているのかとかにものすごく心許なさを感じる。もちろん真面目に配信している人の方が多数派なのは承知している。

でもある種そのへんが緩いからこそ、同族意識だったり親近感を覚えやすい部分があるから、この曖昧さを否定はできないのだけど。あまりガチガチになりすぎてもきっと面白くなくなってしまうだろうし。そこに面白さを感じるのか不安を感じるのかで言ったら、自分は後者だったというだけの話。何か社会人意識すらあるのか謎な人って、その人やそのムーブに対して「うわぁ……」と思ったりもするんだけど、それと同時に事務所はちゃんと教育してるんだろうか?って思ったりする。Vtuber界隈に対しては業界の成長や盛況に対して中身の整備が追いついていなかったり、タレント本人が自分で何とかしてねの部分が大きすぎる感じがする。

2つ目の理由として、Vtuberってアイドル以上にキャラクター性一本勝負なところがあるので、また偶像崇拝の感情をメインにしてオタクしたくないなって思っていたのもある。誰かのキャラクターが自分の思い通りであるところに惹かれてそれを期待しながら推したくない。例えば歌が上手いとかダンスが上手いとか芝居が上手いとか良い曲を作れるとか、そういうスキルに惚れ込んでオタクをしたいというのが最近のわたしの中にある流れで。キャラクター性は「偶像」だから真実が混ざっていたとしても結局は虚構だけど、スキルは表も裏もない見せられたものが100%真実だから、そっちを期待して求める方が安心できるみたいな。とはいえVtuberってハイスペな人が多い印象なのだけど、でも結局メインの活動はゲーム実況になるのでスキルに惚れ込んでオタクする余地があまりないし、そもそもゲームの上手さにわたしはあまり興味がない。ゲーム実況じゃなくて自分で曲作って発表することがメインのVtuberとか出てきたら好きになるかも?もしかしたら既にいるかもだけど。

3つ目にわたしは事務所箱推し概念がないので、事務所箱推しを前提としている感じに馴染まなかった。基本的に延々と同じ事務所の人とだけ絡むことに刺激を感じられないというか。たまに他業種の人と絡んだりするけど(主にストリーマーや声優)、同業他社とはほぼ絡まないよね。わたしの持論として、同じ事務所内でどれだけタレントに多様性を持たせて棲み分けようと、同じ事務所に所属し、同じ文脈を共有し、同じ思想を良しとしているタレントって根底が似通ると思っていて。本人の雰囲気に絶対に事務所のカラーって出る。だから同じ事務所のタレント同士の絡みで起こる化学反応には天井がある気がするんだよね。これが他業種だと距離が遠すぎて業種の文化の違いによる衝突が起きかねないし、そもそも連発するものではないと思う。だから同業他社との絡みがものすごく刺激的で好きなのだけど(これは同業他社の絡みが長いこと見られなかった男性アイドルオタクだからなのもある)、この界隈にそれを期待するのは色んな意味でどうも難しそう。同じ箱内で絡んでいた方が諸々のトラブルを回避できるからという部分も大きそうだし。もっと事務所が増えて(寡占状態も好きじゃない)、事務所の壁がなくなったらわたし好みになるかもなと思う。

 

というわけで結局腰を据えることがなかったという話。繰り返し言うけれど、あくまでnot for meだったというだけで、わたしにとっての合わなさが誰かにとってのフィット感であることは十分に分かっているし、どちらも十分魅力的で今後もぐんぐん伸びていく界隈だと思っている。それに完全に断つわけでもないし、何ヶ月何年かしてやっぱりオタクに戻ることもあるかもしれない。と、予防線はたくさん張りまくっておく。