長文置き場

備忘録

誰かを推すことに怖気づいている

この情勢になってから、生身の人間を推すということについて考えている。

コロナが流行って現場が次々と消え始めた頃、現場を失ったオタクは正気に戻ってしまうということを色々なところで聞いたけれど、確かにそうだなと思った。

 

ここ数か月、牙を抜かれたように生身の人間を推す気力が起きなくなっている。ここ数年三次元の人間を推すことはすごく楽しいことで、誰かを全力で推していないとオタクとして充実感を得られないとまで思っていた。だけど今のわたしは推しへのモチベは超低空飛行だし、代わりに熱中できる誰かを見つけたわけでもない。

じゃあ何しているのかといえば、アニメやドラマを見たり、本を読んだり、ツイステしたり、BLCDを聴いて日々を過ごしている。自粛期間直後こそ在宅コンテンツの楽しみ方がわからない、虚無感がすごいと言っていたのだけど、ここ1~2ヶ月くらいは慣れたものでそういう感情はなくなっている。元々スーパーインドア人間だったし。

 

つまりは、別に生のライブを半年近く浴びないところで生きていけることに気付いたし、その生活に順応し始めているということだ。言い換えれば、誰かを熱心に推していない生活に順応し始めた。

そうしたら今までは現場楽しさに見て見ぬふりをしていた、アイドルオタクとしての業と向き合うことになった。考えていくうちに、決して素晴らしいだけではないと思った。

 

ここしばらくわたしは若手声優界隈にズブズブである。ブログの記事一覧からわかる通りだ。

わたしから見た若手声優界隈は、もちろん人によるけれど、アイドルとやっていることがそう変わらないケースが少なくない。単に比重が違うだけだ。声優はあらゆる仕事の中で1番比重が大きいのは演技で、アイドルは歌って踊ること。

比重の差はあれど、もはや扱っている仕事の種類にそう違いはない。ライブで歌って踊るし、演技するし、CD出すし、バラエティ番組やるし、ラジオやるし、雑誌に載るし、接触もする。今の時代、これらのことを声優が役とは全く関係ない個人としてやることは珍しくもない。

なので知った当時は今の若手声優ってアイドルと変わんないんだなぁという印象だった。もちろんやっている仕事だけをピックアップすればそうだ。どうしてもそういう感想になってしまう。でも決定的にアイドルと違うところがある。

 

それはオタクが求めていいとされることだ。

結局声優の扱う仕事がどれだけ多岐に渡ろうと、1番重要なことが「演技」なのは変わらない。彼らの売り物が「演技」だからだ。基本的にそれ以外の顔立ちだったり歌唱力やダンス力、ファンサービスにまでより良いものを求めるのはお門違いという共通認識のようなものはある。そこは商品ではないし、売り物の価値に関係する部分ではないからだ。人気に関係しないとは言わない。

もちろん推し声優のプライベートに厳しく目を光らせるオタクや、推しの演技よりもタレント活動が好きなオタク、ガチ恋のオタクは一定数いるだろうが、どれだけ数が増えたところで、「演技」が売り物でそれ以外を求めることはお門違いであるという共通認識は簡単には崩れないと思う。

 

一方のアイドルには具体的な売り物がない。よく言われるのは「夢」を売り物にしているということだけれど、夢を売り物にしている人たちには何を求めてよくて何を求めるのはお門違いなのか、オタクたちに共通認識のようなものはまるでない。「夢」の指すものが漠然としすぎてわからない。というかオタクの数だけ解釈がある。

それはつまり、オタクが「夢」と思うことは何でもアイドルに求められるし、商品になりうることを指す。オタクがアイドルに求めていいこと、アイドルが応えなければいけないことに際限がない。だから消費者であるオタクはアイドルのあらゆることを商品として消費していいしジャッジしていいのだ。あらゆること、例えばアイドルの人生、疑似恋愛(それに大きく関わるプライベートの素行)、関係性、若さとか。裏を返せばアイドルは仕事、プライベート問わずあらゆる言動や行動が商品価値を上下させかねない。

 

良くも悪くもアイドルはどんな愛し方でも許されてしまう。他の職種なら歓迎されない推し方でもアイドルなら許されることって多々ある。スキル度外視キャラクター先行の推し方、ガチ恋、顔・歌・ダンス・接触などどこか一点のみにこだわる推し方、全てのスキルを求める推し方、何だって受け入れてしまうのがアイドル。

アイドル自身に売り物を定義する力はなく、それを定義するのはオタク個々人だ。どのラインまで求めるのかは完全にオタク個人の裁量に委ねられている。これがある1つの定義にまとまることは永遠にないと思う。

これがわたしの考えるアイドルオタクの業だ。アイドルの持つあらゆる要素を商品として消費してしまう。それが怖い。声優だったら演技とそれ以外で分けて考えられるけど、アイドルにはそれがない。何を求めてもいいから、生身の人間にはそりゃキツいよということまで求めてしまう。アイドルの何でも求めていいキャパの広さと、わたしみたいな理想高すぎなオタクは相性が良すぎて罪深さがヤバいのだ。

もっともらしい風に言って理想押し付けてるだけになっちゃうのもいやだし、生身の人間に対して解釈違い起こすのもやだし(生身の人間に対しての解釈違い意味不明だけど実際に起こるんだよな……)、人間は偶像崇拝するには脆すぎる。

 

というわけで、次に推し変するとしても絶対アイドルだと何の疑いもなく信じ続けてきたけれど、当分アイドルを推すのは勘弁……という気持ちになっている。

というかアイドルに限らず生身の人間推すこと自体しばらく勘弁だ。「推す」ってなったらどんな職業の人だとしてもあれもこれも求めてしまう理想高すぎオタクなのは自分が1番よくわかっているから……。本職と関係ない、しかもしょーもないことで一喜一憂するのはいやだ……でも推したら絶対そうなる……。

あと結局何も知らんのに、推しの表情とか発言・発信のあるかもわからん裏や行間を読んで勝手に気持ち推測したり、訳知り顔でこうだろうって言っちゃうのとか、推し可愛さにモンペになるのとかもやりたくない……でもわたしはこういうことをやってしまうオタク……。

こう思うのはやっぱり三次元の人間を推すことがあまりにも魅力的で楽しいことに満ちていることも事実だからだ。マジでイヤなことしかなかったら怖がらなくても今後絶対三次元推さない。特にアイドルの人を元気にさせる力って本当にすごい……推しグループのオンラインリリイベ見てたらめっちゃ元気出た……。

 

となんやかんや言ったけれど、冒頭に書いたように今のわたしの楽しみはアニメやドラマを見たり、読書したり、ツイステしたり、BLCDを聴くことである。Pixivの推しカプ巡回で夜更かしするのも楽しい。インドア生活にも慣れて、実に心穏やかなオタクライフを過ごしている。

 

だから、どうか理性を吹き飛ばすような出会いがありませんように。